「イリュージョン」(R.バック)①

「自由に生きる」こと

「イリュージョン」
(R.バック/佐宗鈴夫訳)集英社文庫

遊覧飛行をしながら各地を
転々としているリチャードは、
風変わりな同業者・ドンと出会う。
彼の複葉機は
虫の死骸も付着していなければ、
油の汚れもなく、それどころか
給油の必要さえなかった。
彼は「救世主」を
やめたのだという…。

「自由に生きる」。
使い古された陳腐な言葉であり、
誰しもがそうありたいと
望む生き方であり、
渇いた心には
無性に染みてくる一言であり、
「それは無理に決まっている」と
解っている幻想であり、
日々の生活に疲れている人間からは
憎悪される台詞かも知れません。
本作品に描かれているのは
まさに「自由に生きる」ことなのです。

ドン(ドナルド・シモダ)は
魔法使いのような存在です。
金属のレンチを
空中に浮かすこともできれば
水の上を歩くこともできる、
高所恐怖症の少女を
空に憧れさせることもできれば
車いすの青年を
自力で歩かせることもできるのです。
つまり、望んだことが全て叶うのです。
でも、本作品はそんな
ファンタジー小説ではありません。
描かれていることは
寓話として捉えるべきでしょう。

「人間が長い間、
 空を飛べなかったなんてね。
 自分たちには飛べるわけが
 ないと思い込んでいたからだよ。
 どこででもそれを実現する方法を
 身につけることさ。
 自分たちにその気さえあればね。」

燃料補給の必要のない
彼の複葉機の秘密を聞き出そうとした
リチャードに語ったドンの言葉です。

「望みさえすれば全て叶う」という
彼の魔法の説明であると同時に、
現実世界でも
十分に通用する考え方です。
私たちは「できない」という思い込みで、
自らの可能性を閉ざしている場面が
往々にしてあります。

「類は友を呼ぶということだ。
 きみはありのままの
 自分でいればいい。
 そうすることで、自然に、
 ぼくたちからなにも
 学ぶことのない者たちを遠ざけ、
 学ぶことのある者たちや、
 またこっちが
 学ばなければならない者たちを
 引きつけているのさ」

自分を偽って
無理に集団に合わせようとしなくとも、
自分らしさを失わないことによって、
本当の仲間が見つかると
言っているようです。
何とも心強いメッセージです。

「これは大事なことだよ。
 ぼくたちは皆、やりたいことは、
 なんでも、自由に、
 やってかまわないんだ」

この一言が
本作品の全てを表しています。

それでいて誤解を招きやすい言葉です。
「何をやってもかまわない」と聞くと、
「では犯罪を犯すのも自由なのか!」と
いきり立つ人も多いはずです。
ドンのこうした発言は
人々の怒りを買い、
彼は一人の暴徒に射殺されます。

しかし、私たちの
普段の当たり前の行動は、
自分の自由意思で
「犯罪行為をしない」という
選択をした結果なのです。
「働かなくては食えない」のも、
飢えるよりも働いて空腹を満たす道を
選択した結果です。
もちろんのたれ死にするのも
自分の自由選択の結果です。
私たちの一生は、何か運命的なものに
左右されているように見えながら、
絶えず自分の自由意思による
選択の積み重ねなのです。

不自由ながらも
「自由に生きている」ことを
自覚することが、
真の自由を手に入れる
簡単な方法なのかも知れません。
いろいろなことを読み取れる、
示唆に富んだ寓話の世界。
リチャード・バックの名作小説です。

(2020.6.1)

ladgrphxによるPixabayからの画像

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